1. >
  2. >
  3. 「俺のヘアサロン」シャンプーボーイから輝くプレジデントへの軌跡 Grow代表 高橋俊友さん【前編】 

NEWS

「俺のヘアサロン」シャンプーボーイから輝くプレジデントへの軌跡 Grow代表 高橋俊友さん【前編】 

連載第3回目は、GARDENグループ9店舗目となる新ブランドサロン「Grow(グロウ)」の代表に就任した高橋俊友さんが登場!

~育てる、成長する~という意味が込められたサロン名には

「新人育成を目的にしたサロンづくり」というコンセプトがあるそう。

新たなサロンづくりに挑戦する高橋さんに辛くも楽しい美容道をお伺いしました。

FILE.3

Grow-グロウ- 代表、ヘアスタイリスト

高橋俊友さん

IMG_6537

1977年7月17日生まれ、栃木県出身

日本美容専門学校を卒業後、

1996年、19歳のときにカリスマ美容師ブームの火付け役となった

原宿の有名美容院に入社。

2001年、同美容院の別ブランドサロンに移動、オープニングスタッフとして参加。

2005年、原宿にGARDENオープン。オープニングスタッフとして参加。

2015年3月27日「キュープラザ原宿」6FにGrowオープン。代表に就任。

ヘアサロンの垣根を越え、美容師仲間たちと発足した「東京ブレンド」の活動も注目を集めている。

http://tokyoblend.com/

 

 

カリスマ美容師のいる美容院で、テリトリーであるシャンプー台を守り続けた日々

 

Q.高橋さんは、あの「カリスマ美容師ブーム」を巻き起こした原宿の有名美容院のご出身。

専門学校を卒業後、一大ブームを間近で見たご感想をお聞かせください。

 

A.僕自身も後から聞いた話なんですが、僕が入社したときの倍率はかなりのものだったらしいです。

当時、専門学生の間でも「ここは流行っている。これからもっと伸びる」、「ここに入ったらスゴい!」みたいな話が尽きなくて。

「大人数の中で、切磋琢磨できる環境で美容師人生をスタートさせたい」と思ったのがきっかけで、試験を受けに行きました。

でも、入社してからは正直、よく分からなかったです(笑)。

1997年にジャパンツアーという全国を回るヘアショーが開催され、武道館でヘアショーをおこないました。

武道館で単体でヘアショーをおこなったサロンは、後にも先にもこの美容院しかないと思うのですが…。

僕は搬入搬出係。同期でステージに立った人もいたのですが、僕は根拠のない自信だけあって、「急いでも仕方ないな」なんて思っていたタイプだったんです。

 

Q.その時代のサロンの状況はどんな感じだったのでしょうか?

 

A.1日にお客様が300~350人いらっしゃいました。僕らはシャンプー台に立ち続けました。

今だから言えますが(笑)、飲まず食わず。水がどうしても飲みたいときは、シャンプー台の水を飲む。

トイレだけは仕方ないから行く。営業を潤滑におこないお客様に迷惑をかけないように、先輩方に迷惑をかけないように。

それだけに専念し、必死にシャンプー台を守りました。

休みの日は業界誌や女性誌の撮影にアシスタントとして立ち会い…。気付けばアシスタント歴4年以上に。

 

Q.かなり長いですね…。イヤになることはなかったんですか?

A.心のどこかで「先輩なんてたまたま早く生まれただけ。負けない」と常に思っている自分がいて(笑)。

あとは純粋に素直だったんだと思います。上下関係にもあまりうんざりすることなく、先輩の言うことを真面目に聞いていましたし。

自分にとって望み通りの環境だと思っていたんです。

 

 

表参道の別ブランドの美容院でも、アシスタントからスタート

 

Q.ちょうどその頃ですね。その有名美容院が別ブランドのサロンをつくるという話になったのは。

 

A.表参道に出店するということになり、その代表を務めることになったのが、現在のGARDENグループの代表となるメンバーたちです。

(須崎勝己さん、森内雅樹さん、加藤敏行さん)。

これも後から聞いた話ですが、アシスタントとしてそのサロンに呼ばれたのは、雑草メンバーだと(笑)。

なるほど、自分なんてまさにそうです。

そのサロンでも、またアシスタントとして参加。ようやく半年後にスタイリストデビューができました。

 

 

Q.スタイリストデビューしてからのお話を聞かせてください。

 

A.森内に撮影を多く振ってもらい、自分の顔と名前を覚えていただき、多くの女性誌の撮影に呼ばれるようになりました。

女性誌を見てサロンにも多くのお客様がいらしてくださり、本当に美容漬けの日々でしたね。

夜は夜で、美容談義で仲間とバトるとか、熱い気持ちで美容に向き合っていました。

別ブランドのサロンで過ごした約5年間は美容最優先の熱い時代だったと言えます。

 

 

GARDENがオープン。待っていたのは美容師人生の暗黒期と反省の日々

 

Q.そして、いよいよ、ここでのメンバーがベースとなって、GARDENがオープンするわけですね。

 

A.2005年8月、原宿にGARDENの1店舗目がオープンしました。

GARDENのオープンというのは、いろいろな事情が重なりバタバタで。

HPを作成するなどはしたのですが、お客様にうまく告知できず、失客をかなりしてしまいました。

が、それも実力がなかったことです。結果として受け止めて、お客様との関係性を見直すきっかけになりましたね。

また、後輩である河野悌己が頭角を現し、秋葉千菜も撮影にどんどん呼ばれるようになり、僕は撮影に呼ばれる回数がグッと減ってしまった。

GARDENのオープン当初というのは、僕にとっての暗黒期でもあるんです(苦笑)。そして、反省の日々でした。

 

Q.暗黒期の際は、どのように美容に向き合っていったのですか?

 

A.2~3年は落ちた気持ちを引きずりました。

河野悌己が代表に就任して、drive for garden(初の銀座店)をオープンするなど、GARDENを河野がけん引しているのは一目瞭然。

自分は負けているという事実。劣等感アリアリでした。

でも、僕は河野と仲良くもあり、互いにトップを目指して戦う仲間でもあり、彼がいたらから常に上を目指せたということもあるんです。

決して嫌いなわけじゃないんですよ(笑)。

劣等感と「認めてもらえてないんじゃないか?」という猜疑心が自分の中にある、と気付いた時代でした。

そんな落ちた状況の中で、「東京ブレンド」というサロンの垣根を越えて発信する集団に属するようになったり、代表取締役である須崎から「教育(テクニカル)部門」の担当を振られるようになったりと、転機が訪れました。

 

 

後半に続く

関連キーワード

連載記事一覧MORE

オススメ NEWS

WRITER

美容ライター上條華江

このライターの記事へ